MickeyTounoのブログ

離婚紛争の理不尽を忘れないために

4カ月ぶりの長女との再会

8月4日(土)、長女と4カ月ぶりに会った。
条件は、こちらの関係者(私の母と姉)が立会人となり、子供の引渡しの際には私と妻が接触しないこと。さらに高額なものを与えない、衣服を買い与えない、だそうだ。
妻との接触は無論願い下げだが、何とも上から目線の物言いである。

前日の午後に私の母と姉は私の自宅近くのホテルに到着していた。
8月4日昼12時、私はその日の朝に借りたレンタカーに母と姉を乗せて待ち合わせ駅のロータリーに到着した。私はそのまま車で待機、母と姉は待ち合わせ場所である改札に向かった。
数分のうちに娘を連れて母と姉が駅から出てきた。遠くから見ても娘が楽しそうなのがわかる。足元がはずんでいる。私は車を降りた。
50メートルくらいまで近づいて、娘が私に気づいた。満面の笑みを浮かべて駆けてくる。そのまま文字通り飛びついてくる娘を私は両手で抱きとめた。そうだ。娘はいつだってこうだった。家の中でも外でも、私を見つければ飛びついてきた。
30秒くらいだろうか、私は娘を抱きしめたまま、名前を呼び続けていた気がする。
母も姉も、あまりに急で写真などとれなかったそうだ。

その後3人を車に乗せ、娘が好きだった回転ずし屋で昼食をとり、この日の朝に予約していた市の文化センター内にある和室でお絵かき(私はパステル画を。私も妻と同じくパステルアートのインストラクター資格を持っているのだ)を楽しんだ。私にとっては本当に幸せな時間だった。娘は4か月前と何も変わらない、他の家族のことと同じく、私のことも大好きだった娘のままで私に接してくれた。15時30分頃、そろそろ娘を送っていこうか、という話をしていたら、名残惜しそうに、「もっと遊びたい」と言ってくれたことが忘れられない。

娘の受け渡しには、妻自身が来ていたそうだ。よく私の母や姉に顔を見せられるなと思うが、それもこちらを軽侮している証であろう。

この日のことについては、また別の機会に詳しく書こうと思う。

子供への聞き取り調査前ヒアリング

さて、書けなかった期間の出来事をまとめることとする。

まず、去る7月23日に子供への聞き取り調査前ヒアリングのため家裁に行った。なお、妻への聞き取りは7月16日に実施済みだったようだ。

ここでは、

・私が子の監護者指定調停を申し立てた時に提出した内容と、その後に作成・提出した陳述書の内容に関する確認(および深掘り)
・現在の子どもの生活についての予想と懸念事項

について聞き取りが行われた。無論、私が聞かれる立場である。調査官はこちらが発言しやすいように、提出済みの文書の内容について確認するという感じで進行していたが、そもそも第1回期日において私が「これは予想以上に公平性がないな」と実感することになった発言のうちの一つを言った人でもあるので、まあ裁判所にとってのアリバイ作りのようなものであろうと思いつつ、言うべきことは言った。

子の監護者指定調停および子の引渡し審判(ならびに審判前保全処分)については、申し立て当初から認められることはないとわかっているものだ(過去の記事にもおそらく記載しているだろう)。従って、これらを申し立てたのはそれが(自分の要求を相手に承諾させるための道具としてではなく)何の見返りも求めない親としての愛情に起因する責務だと感じているからだ。勝ち目がないからといって、子供を取り返す手立てを何も講じなければ、将来子供たちはどう感じるか。この気持ちが私のモチベーションとなっている。

さて、子供との面会(この表現も非常に受け入れがたいものであるが)については、7月28日(土)の実現を目指していたが、この日の調査官からの情報によりこれが不可能であることがわかった。「もし28日に面会が実現すれば、お子さんへの聞き取り調査よりも先に面会できますね。お子さんにとってもその方がよいでしょうね。」これにより、この日を過ぎれば聞き取り調査が面会よりも先になることが判明した。当然妻はそのことを知っているので、28日の面会を拒否した。実現したのは8月4日(土)である。
そのうえ、(時間稼ぎも含めて、であるが)妻の提示してきた立会人の条件は、なんと「妻の母を立会人とせよ」ということであった。この条件は、妻が逃亡した直後の4月13日にこちらが提示したものである。これまで何の正当な理由もなく、子供とのコミュニケーションを一切遮断しておいて、3か月以上経過してから、私がとうの昔に提示した内容を平気で提示する。この振る舞いにはかつてない憤りを覚えた。当然こんな条件は承諾できないので、こちらの親族も立会人とさせよと返答したところ、それなら妻の母の立会いは不要だと言ってきた。この時点で、長女は間違いなく私と会うことに前向きであることが確信できた。長女が面会を喜ぶところを妻側の関係者が目にすることは、妻にとっては望ましくないことだからだ。

ともあれ、面会交流の日程、条件はまとまり8月4日(土)の実施となった。この時点で子供に対する家裁の聞き取り調査は終わっている。妻の目論見通りである。

気づけば8月

1か月近くも空いてしまった。この間いくつかの動きがあった。個別に記載する前に、概要をまとめておく(備忘録的に)。

・7月23日、子供の聞き取り調査前のヒアリングを家裁にて実施。妻側の聞き取りはすでに実施済みとのことであった。
・8月4日、長女との面会が実現。ただし以後の面会には新たな条件をつけ拒否してきた。

おや、思ったよりも少なかった。きっと、面会に向けての調整でやり取りが発生していたからいろいろあったと感じていたのであろう。

私個人は、職場環境の過酷さと健康上の問題で会社に対してエスカレーションを発動し、その結果現在の契約先顧客とは8月いっぱいで終了となりそうだ。人手不足のためリプレース要員はおらず、契約自体が打ち切りとなる可能性が高く、会社の売上そのものに影響が発生するため、私に何らかの処分が下される可能性もありそうだ。まあ、そもそも家族のために少しでも収入を増やそうと高難易度の契約を選択したわけで、その家族が「家族をやめる」と言っているのだから、あとは妻が経済的な生活基盤に責任を負えばよい。少なくとも夫のことを「高収入の豚」と罵ってきたような人間を自分の命をこれ以上削ってまで支える理由はない。

とりあえずここまで記しておく。個別の出来事については別途記述することとしよう。

絵手紙その4

先方が絵手紙を子供に渡すと言ってきたのは、恐らく、期日でまた指摘されるのが嫌だったのだろう。それはそうだ、絵手紙を子供に渡さない(どころか、受け取ることもせず握り潰しつづけている)ことに、正当な理由はないのだ。先方は、子供との面会にあたり離婚の成立前はFPICを利用した(第三者の立会いによる)面会を、離婚成立後は親族などの関係者の立会いによる面会を強固に主張しているが、これもまったく合理的な理由がない。そもそも第三者の立会いを前提とするのは、面会において子供が虐待される蓋然性がある場合に限られる。私の場合その可能性が皆無であるだけでなく、万一子供を虐待する恐れがあるというのが先方の主張であるならば、離婚の成立前であろうが、成立後であろうが主張しなければならない。つまり、離婚の成立前後で条件を変えることには、全く合理性がないのだ。
絵手紙も同様で、子供の意思でなく親が受け取りたくないという理由で子供宛ての絵手紙を握りつぶすというのは全く合理性がない。

私たち(私と代理人の弁護士先生)はこの点を指摘し続けてきた。とうとう突っ張り切れなくなったのか、それとも、子供たちの洗脳が完了したので手紙の一つくらい渡してやってもいいと考えるに至ったか。いずれにしても、仮に長女に3通目が渡ったとすると、次に私がすることは「それが3通目であった。その前には2通が存在した」ということを伝えることだ。そのために4通目を描いた。

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絵手紙4

もしこの絵手紙を長女にそのまま渡すとすれば、それが4通目であることがわかる。つまり自分は最初の2通を受け取っていないことを知ることになる。4通目の絵手紙は学習教材とともに今日発送した。そして明日には先方からの面会交流提案が来る予定だ。恐らく先方の母を立会人とした面会を提案してくるだろう。ふざけた話だが、これを受けることはない。こちら側の立会人の同席も必須だ。

さて、どうなることやら。

第2回期日終了

さて、気づけばまた10日以上が過ぎて、妻が子供たちを奪ってから丸3カ月以上となった。私の怒りの炎がおさまることはない。
去る7月9日、第2回期日で裁判所に行ってきた。この直前、妻は私が送った3通目の絵手紙を受け取ると言ってきた。もちろん、子供は見たくないと言っているが、と添えている。いずれにせよ、さすがにこれまでの姿勢を継続するのはマズイと考えたのか、あるいは子供たちの洗脳が完了したので今さら絵手紙を見たところで何の影響もない、という判断か、またはその両方かはわからないが、ともかく姿勢を変化させてきた。

しかも、第2回期日での議論では、『双方の親が立会人となる場合、または双方の代理人事務所を面会場所とする場合』での面会交流を検討してもよいと言ってきた。

私の怒りは頂点に達した。

無論、調停員の前で取り乱すことはないが、『これはこちらが4月に提案した内容そのものだ。』と伝えておいた。調停員も少し驚いていた。

子の福祉の観点から、この提案がやらないよりはましであることは事実であろうが、妻はこれまでの行為について何ら反省していない。3カ月という時間の持つ重みを理解していない。こんな人間を許すことはできない。

従って、私が方針を変えることはない。速やかな調停の不成立と裁判への移行、それに向けて邁進するのみだ。

いろいろ動きがあった

ずいぶん時間が経過したようだ。この間、仕事は究極にきつく、心身ともに疲弊しきっていた。長い通勤時間、ほとんどパワハラ状態の顧客、そして連日の長時間労働、帰宅するのは日付が変わった後。そして疲れ切った身体と頭に鞭打って、妻の離婚調停申し立てに対する答弁書を作成していた。
そうだ。ようやく届いたのだ。待ちに待っていた離婚調停申立書が。内容はある意味想定どおり、過去2年にわたって妻が行ってきた、自分は一方的な被害者であり私が一方的な加害者であるという主張に貫かれている。これに対して私は自分のもてるあらゆる情報をもとに、遠からず申し立てられるであろう離婚調停に対する答弁を準備してきた。その文書はかなりの分量に上るが、驚いたことに私の代理人である弁護士先生は一部の画像をのぞいてほとんどすべての内容を提出してくださった。いよいよ本丸だ。私は、自分が監護者に指定されるなどと期待しているわけではない。この国の正義をそこまであてにしていない。私は可能な限り自分のもてる客観的事実を示す情報すなわち証左に基いて自分の主張を記述した。それに対して、妻の申し立てにはなんら根拠が伴っていない。勿論、根拠があろうとなかろうと、女の申し立ては認められる。私は愚直に事実を積み重ね、答弁書をまとめた。

時間は限られていた。私たちの次回期日は7月9日、妻の申立書が届いたのは6月22日だ。答弁書は期日の2週間前までに提出するよう指定されているが、その場合文書作成にかけられる時間はわずか2日。妻の側からすればよい戦術だ。こちらは、期日の1週間前を目標に文書作成を行った。その結果6月28日に提出することができた。なにしろ大量の文書だ。期日までの1週間で裁判官がすべてを読み込むことができるかどうか。そのため、少しでも早く提出することを優先した。勿論、私が作成した文書をそのまま提出したわけではない。私が執筆したものは、いわば答弁書の要素文書であり、こちらの代理人である弁護士先生が内容をレビューし、提出すべきでない情報や証左は削除のうえ、最終的な文書の形にしている。提出した後で気づいたことだが、いくつか誤字やヌケモレがあるが、それは私の主張を本質的に変容させるものではないので、まあいいだろう。

今後の課題は、文書に記載した内容を如何にして裁判官に信用してもらうか、ということになる。記述内容の事実関係については、私の側には何の憂いもない。持てる限りの証左を裏付けとして記述しているのだ。問題は、それでも記述内容が事実と認められないかもしれない、ということだ。なにしろ裁判所は妻が別居という「力による現状変更」を行い、しかも何の合理的理由もなく子供と私のコミュニケーションを完全に遮断していることについて、その動機を一切議論しないのだ。「力による現状変更」に対して、司法が「現状の追認」を行っているわけである。私が司法に期待しない大きな理由だ。

いずれにせよ、答弁書を提出した以上、あとは状況を注視し適宜対応しながら、基本的にはこちらの提示する離婚条件を妻が受け入れられないなら速やかに裁判に移行するまでだ。調停に時間をかけるつもりはない。正直なところ、離婚調停では1回目で不成立にしたい気持ちだ。
調停は非公開のため私の答弁についてここで明らかにすることはできないが、経過については随時記録していくこととする。

落ちたか・・・?

長男の受験した英検の結果発表があったようだが、もしかして落ちたか?今回は特に、大学入試で有利になる(というか受験科目を減らせる)ということで本人も頑張っていたんじゃないかと思うのだが。
もし失敗したとすれば、本人はプライドにかけて否定するだろうが、まあ環境の影響が大きいだろう。指導する人間もいない。妻の暴挙がなければと、何とも残念だ。子供の未来に責任を負わない人間が、ただ自分の要求を通すためだけに子供を人質として側に置く。長男には、自分の力で未来を切り開いて欲しいが、一番近くにそれを妨げるものがいる。しかも自分に対する信頼を利用して。なんという鬼畜であろうか。改めて妻に対する憤りを新たにすると同時に、長男に対しては申し訳ない気持ちで一杯だ。妻を、彼にとっては母を正常にできなかった。
だからこそ、私はその責任を負う。妻に責任を取らせることで。