MickeyTounoのブログ

離婚紛争の理不尽を忘れないために

まとめてみた

一日に何度も考える。自分が今生きているのは何のためだろう。自分が明日生きているのは何のためだろうと。
私のこれまでの19年間は、すべて家族のためにあった。最初の2年間は妻のためだった。次の8年間は妻と長男のためだった。最後の9年間は妻と長男と長女のためだった。

しかし、ここ10年ほどの間妻の振る舞い、特に夫婦生活に関する姿勢は傍若無人そのものだった。

『性交渉は両者の合意でのみ行われるものだから、自分には拒否する権利があり、自分が同意しない限り、何年でも行われなくてよいものである。』

そして、

『本来、夫は妻に拒否されたからといって不満に思うようなものではない。従って、私が拒否している間夫が不満を募らせたことがそもそも異常である。また、夫の不満な気持ちが私にも伝わってきて、私が辛かった。よって自分の方がむしろ被害者である。』

当初から私は粘り強く、繰り返し何度も話し合いを持ったが、妻の姿勢が変わるどころか、まともに受け答えをすることもなかった。

1年半程度の時間が経過した後、妻の姿勢に変化があらわれた。やっと長いセックスレスの期間が終わるかと思った矢先、妻が言ったことは、

『私は別に痛くないから、勝手に私の身体をティッシュのように使って射精しろ。ただし私に何らかの反応を求めることはするな。その条件のもとでならば、行為を拒むことはしない』

であった。私にとってこれは夫に対する思いやりや愛情がかけらも感じられない姿勢だった。そのため、妻に対して反省の姿勢を示すよう求めた。『求めた』としているように、これは私から妻に対して頼んだ、あるいは言いつけとして申し渡したものだが、一切強制はしなかった(そもそも強制できるようなものではない)。妻による性交渉の拒否は、妻の一存で確実に行為を発生させないことを保証できる(なぜなら私が行為を強制することはないからである)のに対し、私が反省の姿勢を求めたことは、私の意思では実現できず、これを実行するかどうかはすべて妻が決定していた。その結果、私が求めたことを妻が実施したのはごくわずかだった。

さらに私が求めたことは、妻に性交渉に対する積極性を発生させることが第一の目的であったため、過去に妻が実施していた行為を参考にしたものが中心だった。それに加えて、私は妻に反省の姿勢を求めるにあたり、それが妻に対して『耐え難いほどの屈辱を与えるものではない』ことを確認した。

それでも妻は、

『自分がしたこと(=性交渉の拒否)と、自分が求められたこと(=反省の姿勢を示すこと)では、その重みに大きな違いがあり、全く釣り合わない。私が反省の姿勢を求められるいわれは全くない』

と言い、さらに、性交渉を拒否していた時期と同じように、

『私が反省の姿勢を示さないことにより夫が不満を募らせていることが私に伝わってきて、私も辛かった。よって自分のほうが被害者である。』

という姿勢を崩さなかった。

このように、妻は妻自身の考え方と根拠に基づいて不満を募らせ、いくつかの方法で私を攻撃するようになった。
一つは『自分には全く非がないにも関わらず、夫が自分に反省の姿勢を示せと求める。これはDVだ』と外部のカウンセラーや私の親に伝え、それらの人物の口から妻が望む言葉(=妻は一方的な被害者であり、私が一方的な加害者である)を引き出して、それをもって私を攻撃するというもの。
今一つは、もっとわかりやすく実力を行使するというもの。私はこの時期も含めて妻が逃亡する直前まで、話し合いによる状況の改善を図り続けたが、妻は話し合いにおいて激昂し、手近な家具(ゴミ箱など)を踏み壊し、私を何度も殴り、ついには2度、私の首を絞めて殺害を図るまでになった。私の抵抗により、いずれも未遂に終わったが、そのうち1度は長女の見ている目の前での行動だった。

さらに、妻は私に対して真摯な謝罪を求めるようになり、力ずくで私に謝罪させるようになった。利用したのは子供だった。
ある時には週末の夜間に突然家出をした。高校生と小学生の子どもがいる家庭において、母が家出をするというのは異常な状況だ。私は自分の中に蓄積している不満をさておき、妻に対して真摯に謝罪した。しかし妻がこれを受け入れることはなく、かわりに

『人はそう簡単に変わらない。だから今の謝罪には誠意などない。謝罪を継続しろ』

であった。この時から私は妻に対して反省の姿勢を求めることをやめた。

しかし妻は攻撃をやめなかった。なんと平日の昼間に、小学校で授業中だった長女を早退させて私の実家に連れ帰る行為に出た。それを正当化するために、妻は私の母に対して、『自分には何の非もないのに、夫に理不尽な要求をされている』と涙ながらに訴えた。私の母と妻の関係は良好であったため、私の母は妻の言を真に受けて妻に対し子供を連れて帰ってこいと伝えた。そのうえ、長女を私の実家近くの小学校に転校させる手筈まで整えた。
私は妻がそんな行動をとっているとは知らず、ただ自分の親からの非難にさらされ、またしても一方的に謝罪をすることとなった。この行いにより、妻は私の両親を自分の側につけることに成功した。

さらにその1か月後、妻は私の親に対して、『また夫が私に理不尽な要求をしようとしている』と事実無根の内容を伝え、私の両親の中に、『妻が一方的な被害者、私が一方的な加害者』という意識を植え付けた。私は自分の親から激しく非難され、自身の家庭だけでなく肉親からも孤立させられることとなった。
なお、このことについて私は妻に抗議した。事実ではないことを私の親に伝えたことで、両親は私が一方的な加害者だと認識している。そのことに責任を感じないのか、と。
妻は、

『私は、夫がまた私に理不尽な要求をしようとしていると思う、と伝えただけで、勘違いしたのは夫の両親の勝手だ。私に責任はない。それに、これまでの理不尽な要求で私はひどく傷ついている。たった1回のことで私を非難するなんて許せない』

と私に怒鳴りつけ、そして長女の目の前で私の首を絞めて殺害を図ったのである。
この時の状況について、後に私は母に聞いた。母は、『あの時妻ちゃんは自分のことは一切言わずに、私がこんなひどい目にあっている、助けてほしいとだけ言った。私も女だし、女の子の親だから(私には姉がいる)、そんな状態の女の子がいたら、とりあえず助けたいと思う。でも、事情がわかった今、妻ちゃんは頭脳犯だと思うね』と言い、私に謝った。私は母に謝らせたかったわけではないのだが。

そしてこの妻による私の2度目の殺害未遂を契機として、妻は『私は以後一切あなたとの性交渉を行わない。今まで何度かあなたが提案していた、外部(風俗サービスなど)での性欲処理について、今後は認める。書面も作る』と宣言した。2017年10月のことだ。
妻が実際にこの書面を作成したのは、2018年2月中旬のことだったが。(もちろん私は現在に至るまで、そのようなサービスを利用したことはない。)

それ以後の妻は、ひたすら私を無視して家庭内で孤立させることに集中していた。特に2018年2月以降は、パステル関連活動(妻は2017年4月にライセンスを取得したばかりのパステルアートインストラクタだ。ライセンスを取得するための費用はもちろん私が出している)を頻繁にスケジュールし、毎日夜遅くまでその準備と思われる活動をつづけた。それはひとえに私と生活時間をずらすためだった。妻は私が寝ている間は決して寝室に来ず、私が起床してから寝室に移動するという生活をつづけた。またパステル活動をやっているとき、妻は家事が疎かになるため、私は頻繁に洗濯や食器洗いを行った。特に2月後半から妻が出ていくまでは、毎日私が行った。

3月中旬に、妻は自分の母を家に呼び、長女とともに居間に引きこもるようになった。就寝時、私は寝室に一人で寝ることになり、それ以外の時間も私が家にいる間は、妻は食事とシャワーの時以外決して居間から出てこなかった。妻は徹底して私を無視し孤立させた。

私は、妻によるこの振る舞いや、私が一人で家計を支持しているにも関わらず一切の感謝も労いもないことで不満が高まっており、3月下旬にはそれまで手渡していた生活費を妻に手渡すことをやめ、妻が管理していた銀行口座に振り込んだ上で、自宅に滞在中だった妻の母にそれを伝えた。それを伝え聞いたであろう妻は、それでも忌々し気に『生活費をありがとう』と言っただけだった。

その直後、妻は子供を連れて姿を消した。

ここに記した個々の出来事には、その多くに対して私が客観的な事実を示す情報(いわば証拠)を持っており、すでに文書にまとめている。だが、それが活躍することはおそらくないのであろう。すべては子連れ女の思うがままなのだ。子供が小さく手がかかるうちは、夫に稼がせたカネで生活し、夫に対しては性交渉を拒否する。子供に手がかからなくなってきたら、タイミングを見て子供を連れて行方をくらまし、カネを払えと弁護士を立てる。これがこの国における女の必勝パターンなのだ。

子供のいるご同輩、後輩諸氏にはくれぐれも注意されるよう。