MickeyTounoのブログ

離婚紛争の理不尽を忘れないために

今の仕事を続けることは難しい

ここ10日ほど非常に仕事が忙しく、ブログどころかこちらの申し立ての第1回期日が迫る中、その準備をする時間も全くなかった。しかしそのことで分かったこともある。今の仕事を続けることはもう無理だということだ。
私はITコンサルタントという(一般には非常に胡散臭いと言われる)商売だが、客先に常駐するのが原則だ。先月からお世話になっているお客さんは2つあった選択肢のうちの一つだったが、選んだ理由はただ単価がより高かったということだった。恐らく同業他社でも同じだと思うが、私の所属する会社では、営業担当ではなくコンサルタントであっても年間の売り上げ金額が評価の重要な要素となり、翌年の年収に大きく影響する。私は家族の生活基盤を何よりも優先するため、片道2時間の通勤と未経験の領域というリスクを負ってでも単価の高い顧客を選択した。
だが、やはりそれは無謀だった。
2016年以降、子供を連れて家を出るまで妻は私が家計を支えていることについてそれを労う姿勢を見せたことはなかった。家庭をもって仕事をしている人であればわかると思うが、お金を稼ぐ、特にたった一人で家族4人の生活を維持し続けるのは容易なことではない。それでも頑張ってこられたのは、子供がいたからだ。子供は私にエネルギーをくれた。太陽そのものだった。『いってらっしゃい』『おかえりなさい』ただそれだけで頑張れた。
しかし今、私に声をかけてくれる子供はいない。仕事はよりチャレンジングになり、結果も出せず、気力も体力も奪われていく。そのうえ妻は、『私は出ていくから婚姻費用を払え、私は無職だから婚姻費用の金額計算については私の年収0円前提で宜しく』として、それまで以上のカネを労せずして得ている。金額自体も増えている(家を出るまで、妻に渡していた生活費は13万円程度だったが、今は毎月19万円を振り込んでいる)が、妻は自分の生命保険や子供の教育関連費用について一切手続きも支払いもすることなくほったらかしにしている。今どんなところに住んでいるのかは知らないが、それは妻が自分の責任で勝手にやっていることだ。
こうしてブログの記事を書くことも、とてもしんどいことだと気づいた。今の仕事を続けていれば、私は遠からず倒れることになるだろう。そうすれば結局収入は減る。あるいはなくなる。収入が半分になってもいいからもっと心身への負担の少ない仕事に変えたほうがいいんじゃないかと思うこともしばしばだ。あるいは、いっそのことさっさと死んで保険金を全部養育費として渡してしまうことがいいんじゃないかとも考える。
本当に、本当に理不尽だ。どうして私は突然子どもを奪われなければならなかったのか。仕事で気力も体力もすり減ってしまい、ここ2か月間私を支えていた妻に対する怒りが維持できなくなってきているのがわかる。妻を許すことはないが、それよりも自分が生きることの意味が全く見いだせない。子供はいずれ私のことを忘れていく。妻は私からの絵手紙を子供に渡すどころか受け取ることもしない(そういえば昨日も子供の教材を妻の代理人である弁護士の事務所に発送した。時間がない中で描いた絵手紙も添えた)。
何のために生きているのだ、私は。

f:id:MickeyTouno:20180604045543j:plain
子供たちに宛てた絵手紙その2