MickeyTounoのブログ

離婚紛争の理不尽を忘れないために

終わりの始まり - これは作り話6 -

妻にとっては初めての出産であり、できるだけ心身ともに負担のない環境で産ませてやりたかった私は、出産の前から妻の実家に帰していた。私はその前に何度か父親学級に参加して、おむつの換え方やお風呂の入れ方などを勉強した。

2000年末から2001年始にかけて帰省していた私は、まもなく出産を迎える妻と別れ、一人自宅へと戻った。

翌日、仕事始めで出勤した私は、オフィスに到着してからほどなくして妻が破水したという連絡を受けた。すぐに上司に伝え、いったん家に帰り、あらかじめ準備していた着替えなどを手に取ってすぐに新横浜駅へと向かった。

妻が入院した産婦人科病院に到着してから長男が生まれるまでには、初産だったからだろうか、時間がかかった。私は次第に間隔が短くなる陣痛のたびに、妻の腰をさすり続けた。妻の痛みには比べるべくもないが、私も必死だった。その末に、長男はこの世界に呱々の声をあげてくれた。私も立ち会った。私は妻と長男に感謝し、労った。妻によれば、その時私は涙を流したらしい。

長男は少し小さかったが、健康上の問題はなかった。ただ、体重が減り続けていた。最初は理由がよくわからなかったが、どうやら口が小さかったため妻の乳首を咥えられず、母乳が飲めていなかった。哺乳瓶でミルクを与え始めると体重も増え始めた。

私は仕事に戻らなければならなかった。後ろ髪を引かれる思いだった。