MickeyTounoのブログ

離婚紛争の理不尽を忘れないために

終わりの始まり - これは作り話5 -

私と妻は、新しい生活を神奈川県の海老名市、東柏ヶ谷という相模鉄道沿線の小さなアパートで始めた。相模大塚駅さがみ野駅のちょうど中間あたりだった。厚木基地のすぐ近くで、戦闘機が飛行するとものすごく大きな音がした。その関係で、自治体の予算から私の住んでいたアパートの窓に防音工事が実施された。もっとも私は福岡に6年間住んでいて、しかも福岡空港の近くだったため、上空を航空機が飛行するのには慣れていた。

私は子供のころから朝型人間で、夜は超が付くほど苦手だが、朝は目覚まし時計がなくても4時には起きる。もちろん仕事の都合で、夜遅くなることもしばしばだったが、朝はどうしても目が覚めてしまう。もっと眠れればとも思うが、朝が苦手だという体血圧の人から見れば、むしろ羨ましいという体質だろう。そのかわり午後に入ると眠くなる。だから、仕事はできるだけ午前中に片付けるようにしていた。そのために、オフィスには7時半前後には出勤していた。通勤ラッシュを避ける意味もあった。

妻は朝が苦手だった。それでも、私が仕事に行くため家を出る時間に合わせて食事を作ってくれることもあった。そして、長男を授かった。